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『蒼天航路』「唯才是挙」、そして人の才を巡る曹操と華佗のスリリングな会話が最高におもしろい

 『蒼天航路』は読むたびになにか語りたくなる箇所がたくさんあるのだけれど、今回は中でも、「唯才是挙」にまつわるあれこれ、特に人の才を巡る曹操華佗の会話(26、27巻)に最高に興奮した。

「唯才是挙」というのは、曹操の発布した求賢令の骨子となるもので、人材の登用にあたり、その人が非情であるとか邪悪であるとか不逞であるとか不仁不孝であるとかはどうでもよく、ただ(唯)才能(才)さえあれば用いるぞ(是挙)、というもの(裏返せば、たとえ情に厚く善良で礼や仁や孝を重んじる者であっても、才能が無ければ用いない、というもの)。

もとより曹操は、優れた人材を集めその才能を発揮させることについては、ほとんど狂気的とも呼べるような関心と情熱を持っているが、それを求賢令として法案化するきっかけとなったのが、医者・華佗とのエピソード。「神医」とも評され、医療において際立った功績を上げている華佗だが、曹操の招きにはなかなか応じない。と言うのも、どうやら華佗は、その輝かしい医術の腕とは裏腹に、あるいはそれゆえに、どこか自身の才に対する虚しさに取り憑かれてしまっている。

神医、さような呼称を誉れとして生きているとでもお思いか?

この生涯の間に救える命はせいぜい数千。だが病んだ国の屠る命はその万倍。医の道に50余年!その虚しさから解かれたことは一時たりとてない!

これに対して、「漢朝400年の病根に鈹刀(メス)を入れる!! 手伝え華佗!」「虚しいなどとほざいておったら用いんぞ」と、激情を放つ曹操は、華佗の才能を埋もれさせることを決して許さない。で、華佗がこうした虚しさを抱くのは、元を正せば当時の医療が現代のような高い社会的地位を持っておらず、占いとかおまじないと同列の扱いであったことにあるわけで、そうなると華佗が医術に誉れを持てないことは華佗自身の問題というより社会学的な問題でもあり、

そもそも華佗自身がおのれの才に誉れを抱いておらん!まったくこの国の通念というやつは!どこまで人の才を曇らせている!?

ということで、「唯才是挙」の求賢令となる。

しかしながら、「才さえあれば道徳なぞ不問である」というのは、当時の支配的価値観である儒教の教えに真っ向から対立するわけで、さらに儒者として優れた業績を積むこと=出世という当時のキャリア(そして社会的権威)のあり方を根底から覆す発令ということになる。当然、儒教の弾圧であるとして儒者(権力者)を中心にものすごい反発がおこるわけだが、そうした反応も必ずしも一枚岩でなく、当時の「儒教」自体がもともと孔子が説いたものとは乖離し形骸化していると論ずる儒家も中にはいるわけで、「医者」であり「儒者」としての顔も持つ華佗こそがそのような人物であった。

で、この辺りから話をなんとなく読んでいると読み飛ばしてしまって混乱するところだが、「医者」であり「儒者」でもある華佗は、医の源流をなす儒教そのものを立て直すことで、医と国の再建を目指そうとする。で、肝心の医を半ばほっぽり出して、儒生に対して儒教の講釈ばっかりするなんてことになるのだが、一方の曹操にとっては、儒の立て直しなど眼中になく、関心はあくまで人の才の活用にある。世に出るためには儒を学ばねばならないなどという価値観が才を埋もれさせる原因となるならば、あるいは、儒の道徳が人の才を見抜く目を曇らせるとするならば、むしろ医と儒を切り離し、独立した学問としての医学をうちたてる必要がある、ということで、この辺りから曹操華佗の確執が深まっていく(ちなみに曹操は、もし儒が才を埋もれさせないならば、どうぞいくらでも勝手に説けばよいというスタンスで、儒が「眼中にない」とはこういう意味)。

華佗曰く、

国難の因は目にあまる儒の腐敗以外にござるまい。(…)儒こそは国家の気血!これを調えずして漢の要諦は定まらん!

対する曹操曰く、

神医が医に誉れを抱かんのもまた儒のせいだ。医はただちに儒から解き放ちその地位を上げねばならん。

最終的に早々と華佗は取り返しのつかない形で決別するわけだが、それをより加速させたのが医学的知識・処方箋の公開を巡る両者の対立で、ここもまたおもしろい。処方箋の公開は誤診・悪用を招くため医術は経験を積んだ者への口伝えの伝承であるべきと主張する華佗陣営に対して、曹操は誤診・悪用は法で締め上げるとし、「秘伝秘術は一切許さん」「今まで見聞きしたものを全て記させろ」と、知識の記述・公開を譲らない。さすがのナレッジ・マネジメントをみせる曹操だが、それに加えて華佗への最後の言葉なんかは、

おまえの才は無数の人間との繋がりを求めすでにおまえから飛び立った。おまえは自分が封じた医の重大さを量れずに 自分が生きた価値すらわからぬままに死を選んだのだ。おまえの医の残骸は拾い集めて後世に継いでやる。

というもので、才能を脱個人化し、その所有権を本人から奪うばかりか、しまいには人の生きた価値すらもその本人(華佗)の思惑から切り離して勝手に断ずるということをやってのける(さすがに華佗に不遜とつっこまれているが)。こうした思い切りのよさこそが曹操曹操たる所以よ!などと思いながら、案外こういう思い切りのよさは、「個人」を中心に「やりがい」とかを論じたがる人事管理論においては、もっと積極的に議論されてもいいことなのかなとも思う。

というか、「唯才是挙」は毒抜きすれば「実力主義」という人材マネジメントでは聞こえのいい言葉になるが、「唯才是挙」をちょっとした名言みたいな形で人事コラムに取り上げたりするようなやり方ではなく、その本来の強度で、バランス感覚の圧倒的に欠如した人材登用方法としてまさに曹操の激しさで貫徹したらどうなるかということを、実践することは多少無理があるにしても、思考実験としてやってみる、そんな卒論があったりしたら、とてもおもしろいと思う。そうした人材マネジメントには、まさに『蒼天航路』における曹操のような超人的カリスマが必要不可欠なのか、はてさて、「曹操」無くしても成立しうるのか?

蒼天航路(26) (モーニングコミックス)

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蒼天航路(27) (モーニングコミックス)

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