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『科学と非科学 その正体を探る』

科学と非科学の「はざま」、こないだの記事からのマイブーム的な啓蒙主義的表現で言えば「光」と「闇」のあいだの「薄闇」(著者もこう言ってるが)に焦点を当てたエッセイで、さくっと読めるし、学生にもおすすめできるよい本だと思う。

内容としては、なにかぶっ飛んだことが書いてあるというわけではなく、誠実な科学者としての至極真っ当な意見が述べられているのだが(もちろん、これは大切なことである)、読んでていいなと思うのは、神話とか麻雀とかペットの犬とかをアナロジーにして科学を論じていくという、文章のうまさ。

例えば、大学なんかでもどんどん社会に「開かれる」、というように、昨今ではとにかくなんでも「開く」ことが良しとされているが、

基本的に純度のあるものは、閉じられているから存在できる(147頁)。

として、「閉じられた時空間」としての大学の必要性を説く。まあこれは主張としてもまったく頷けるけれど、ここで子宮をメタファーとして、

そういえば子宮もある意味、閉じられた空間だ。(…)閉じられたことは、育てること、に通じている。他と混じってしまえば、蹴散らされてしまうようなもの、色が消えてしまうようなものが、閉じられた空間だからこそ成長でき、成熟し、ある種の「世界」を作りあげることが可能となるのだ(150-151頁)。

というふうに文章が綴られていくので、あれよあれよと話に引き込まれてしまうのが面白い。

あと、科学と権威主義の話も印象深かった。科学は権威主義に結びつきやすいが(有名大学の教授の言っていることだから信じる、『ネイチャー』に載った論文だから信じる、というような)、こうした権威への盲信は、本来の科学的態度とは真逆のものであり、著者自身いささか「優等生的な回答」としながらも、

より正確な判断のために、対象となる科学的知見の確からしさに対して、正しい認識を持つべきだ(80頁)

と主張する。これが「優等生的な回答」であるのは、現代の高度に専門化した科学に対して、非専門家である一般人が何かしらの判断を行うということが極めて困難であり、こうした困難から権威への追従が生まれるからなのだが、と言ってもまあ、おそらく科学者としては「優等生」と言われようが上記のように回答するしかないだろうなあ、というところ。

一方で、経営学として、マネジメントという観点からは、科学であれ何であれ、人が何かを「信じる」ということの形式とその帰結について考えてみると面白いかなと思った。例えば、「権威に従って信じる」ということと、「その対象の持つ魅力によって信じる」ということみたいに、同じ「信じる」であってもどのような形式上の違いがあるのか(ウェーバーの支配の三類型みたいな話にもなっていくが)、そうしたそれぞれの形式がどのような帰結を呼び起こしやすいのか、特に、信じていたことが間違いだったと判明した時に人はどのような反応をとるのか、みたいなことは、ちょっとまとめてみるとまたそこから色々考えられそうだという気もする。

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書)