読んだもの観たもの

I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『ただ波に乗る Just Surf サーフィンのエスノグラフィー』

ただ波に乗る Just Surf―サーフィンのエスノグラフィー

ただ波に乗る Just Surf―サーフィンのエスノグラフィー

  • 作者:水野 英莉
  • 発売日: 2020/04/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

滅多に行かないのだけど、私は海が好きで、ほとんど何も知らないのだけれど、サーフィンにはぼんやり関心はある。ということで、読んでみた。

女性サーファーである著者によるサーフィン文化のオートエスノグラフィーで、「女性サーファーである」とはどういうことかを著者自身の経験から明らかにするというもの。もうちょっと具体的に内容をメモしておくと、第1部にサーフィンにおけるジェンダー問題の理論的なレビューがあって、第2部と第3部がエスノグラフィーの部分。第2部は「女性サーファー」になるまでのエスノグラフィーということで、男性中心的なサーフィンの世界にどのように入り込み、どのように居場所を作ろうとしたかという生存戦略的なことが書かれており、第3部はサーフィンをライフスタイルに定着させるプロセスのエスノグラフィーということで、もうサーフィンを継続できないかもしれないという壁に突き当たったとき、どのように自分自身で納得がいく身の置き方を作っていったかということが書かれている。

マイノリティの立場から書く、ということについて、「おわりに」で引用されている、ヴィエット・タン・グエンという小説家・大学教員の言葉が印象的だったのでメモ。
マイノリティの書き手は、マジョリティのように書くべきで、釈明する必要も、迎合する必要も、翻訳する必要も、謝る必要もない。マジョリティがするように、皆が自分の言うことを理解できるという前提で話しなさい。マジョリティのあらゆる特権を持ちつつ、しかし同時にマイノリティの謙虚さを持って書きなさい。
あとは、これも「おわりに」で書かれている、「ただサーフィンがしたいにもかかわらず、ただサーフィンをするということが意外に難しかった」(p. 171) というのは、何事につけてもそうだなあと。「ただ何かをする」というのは、全身全霊で没頭しているようで聞こえはいいけど、そこでついイメージしちゃうような純粋なことではまったくなくて、いろんな人のネットワークの中でノイズにまみれにまみれた中でなんとか取り繕うというようなことだよなあ、と。ここを履き違えると、(男性サーファーにありがちな)自らの欲望と快楽の追求を第一に置き、それ以外の一切を放棄する(社会常識に反することも辞さない)ことも正当化されうるというような考え(p. 85)に陥りがちなので、いかんいかん、と。