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『不道徳な経済学 擁護できないものを擁護する』面白かった

リバタリアニズムの立場から、売春婦とかポン引きとかヤクの売人とかダフ屋とか環境を保護しない人たちとか、いわゆる社会的に非難されるような不道徳な人たちのことを擁護する、という本。
リバタリアニズムがどのような思想であるかは、著者と訳者の序文でとてもわかりやすく解説されているが、簡単にまとめると、暴力の行使以外はすべて許容するという自由主義のことを指す。で、この原則自体はとりたてて特異なものではなく、まあ多くの人が賛同するところのものであるだろうけど、リバタリアニズムの特徴は、この原則をあらゆる場面に首尾一貫して、ほとんど偏執的なまでに頑固に適用することにある(57ページ)。するとどうなるかというと、例えば、国家による徴税なんかは市民の財産に対する暴力的な侵害ということになり、リバタリアニズムの原則に明らかに反しているため、ボロクソに批判されるべきものとなる。
逆に、売春婦やヤクの売人などは、他者に対する暴力の行使をなんら行なっているわけではないので、こういう人たちが非難されるのはおかしい、ということになる(無論、リバタリアニズムは、売春とかヤクの売買とかを道徳的だとか望ましいとかいう主張をするわけではない。それらは非難され罰せられるべきではない、ということ)。
訳者序文の、もし日本がリバタリアン国家になったら…という考察で、「小さな国家」どころの騒ぎではなく、ほとんどすべての政府機関が解体されていく様子は痛快だし、ポストモダニズムで散々槍玉に挙げられてきた「自由な個人」に対しても、「リバタリアニズムの本質は、「自由な個人」という近代の虚構(というかウソ)を徹底する過激さにある」(53ページ)として、ある種前向きに捉え直すというのも、なかなか唸らせる。
そういえば、卒論でチケット転売について考えたいというゼミ生がいて、大抵こういうテーマの場合は「転売は悪」という結論ありきの考察になるのだけれど、リバタリアニズムの立場からすると、チケット転売はなんら問題ない、ということになるらしい。
不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社+α文庫)

不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社+α文庫)