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I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『OLたちの「レジスタンス」 サラリーマンとOLのパワーゲーム」

Ybema et al.  (2009) の組織エスノグラフィーのハンドブックのビブリオグラフィーに挙げられていたので。

職場において女性は、色々と人間関係上の問題を起こしたり、男性社員の(出世の是非に関わるような)クリティカルなうわさ話をおもしろがって社内に広めたり、男性社員から頼まれた仕事をその男性社員のことが好きであるか嫌いであるかによって(仕事の重要度にかかわらず)後回しにしたり拒否したりする。こうした女性の行動が観察されると、つい「女性は感情的だ」とか「非理性的だ」とか言って女性が生来こうした気質を持つかのように論じたくなるが、そうではなくて、女性がこうした行動を取ってしまうのは、かなりの部分は職場を支配する男性優位という社会構造に起因するものなのだよと。つまり、男性のように高い給料や高い地位を得る権利が否定されている状況下では、こうした行動は、女性が劣位の立場を逆手にとって何とか自身に有利な条件を引き出そうとするむしろ理性的なストラテジーというわけなのである。

ところが、こうした男性優位の構造への対抗戦略は、結果的にはかえって男性優位の構造を再生産してしまう。女性が取るこれらの戦略は、自身が男性と同じ土俵に立つことがないと確信しているからこそ取りうるものであるし(自身が出世競争に関係しないからこそ、男性社員のゴシップを広め笑うことができる)、そうした戦略を通して、少しでも男性に優しく気遣ってもらいたい、そうすればそのお返しとして社内の色々な雑事も引き受ける、というのは、まさしく伝統的な男性/女性の役割関係を反復するものであり、さらに「女性は感情的」といったステレオタイプを強化することにもなる。ということでここには、まさにポール・ウィリスがイギリスの労働者階級に対して指摘したような、抑圧への抵抗それ自体が抑圧的な制度の再生産へ回収されていくというアイロニーが生じている、という本。