読んだもの観たもの

I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

某所で話そうとして全然うまく話せなかったことをまとめておく

あるところで私が経営における人間主義について何を考えているのかを話そうとしたのだが、全然うまく話せなかったので、どういうことを話したかったのかを主に自分向けに再度まとめておく。

私自身は、経営における人間(中心)主義、例えば「組織はつまるところ人なり」とか、「人間の満足や幸福、創造性の向上が、よい組織を生み出す」とかそういう語り口には強い関心を持っているが、それは必ずしもそうした語り口を熱烈に支持しているからではない。むしろ、そうした人間(中心)主義が、経営において多くの人から自明視され、また、大いなる重要性を与えられているからこそ、それがどのような現実を生み出すのか、私たちに何をもたらし、そして私たちから何を見えなくするのか、ということに関心を持っている。

そして、こうした問いを探究するには、私たち人間を主役にした組織の物語を語ろうとするのではなく、組織を主役にした組織の物語を語ろうとするのがよい。おそらく組織を主役にして組織を語るということに先鞭をつけたのはチェスター・バーナードであるが、私も学生にこの手の話をするときは、バーナードに倣って、組織を生き物=「組織くん」と捉えるとわかりやすい、と説明することにしている。活動のシステムである組織くんは、自らを生かすためには、人間から活動を調達しなければならない。活動が調達できなければ、組織くんは死ぬ。だから、組織くんはあの手この手を使って人間から活動を引き出そうとする。その意味では、人間が組織を作り出すというよりむしろ、組織が組織を作り出すのであって、組織は自律的なシステムである(すなわち、人間に従属させることなく、組織それ自体を主体として語るに足る存在である)と言える。そして、組織くんは基本的にはいい奴なのであるが、時たま深刻な悪さを人間に対してしでかす。組織くんは怠け者な人間に対して喝を入れ、人間の能力を引き出し、人間に対して成長感や満足を与えるが、時には、人間を頑張らせすぎて死なせてしまったりもする(さらにはその失策の大部分を経営者という人間に帰責することで、自分はその後も飄々と生き続けたりする)。

このように考えれば、経営における人間(中心)主義というのは、組織の実態を捉えたものとか、あるいは組織の理想像を示したものというよりは、組織が人間から効率的に活動を調達するための戦略・方便のようなものとみなすことができる。そして私たち人間は、そうした組織のやり口がいかなるものであるのか、それがいかに恐ろしくもなりうるものであるのかを、必ずしも知ってはいない。

だから、人間を主体とし、組織を人間に従属するものとみなしたうえで、人間にとって都合のいい組織の物語(「組織は人なり」というように、あたかも人間が組織を支配しうるかのような物語)を語ることにはかなりの危険性も伴うのであって、むしろ組織を主、人間を従とした組織の物語を貫徹することの方が、組織なる有用だが厄介なものと私たち人間がどのように付き合っていけばいいかを考えるにあたってよりよい展望をもたらしてくれるはずである。だから私たち人間は、人間(中心)主義のその先に進まないといけない…。

…というようないい感じのことをいい感じに話せたらよかったのだけれども。