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『方法論的個人主義の行方 自己言及社会』

方法論的個人主義の行方―自己言及社会

方法論的個人主義の行方―自己言及社会

  • 作者:犬飼 裕一
  • 発売日: 2011/03/31
  • メディア: 単行本
 

大学院生の頃に読んで、冴えた論考だなあと興奮していたのだけど、ここ最近、改めて個人主義という思考形式の問題について考えてみたくて、久々に手に取った。自らの意思を持った個人を前提として、その個人が何か(社会とか自然とか組織とか自己とか)をうまくコントロールできることを理想とし/うまくコントロールできないことを悲劇や苦難として描く——という思考形式がゾンビのように生き長らえ、私たちの思考を不当に圧迫しているのではないか、個人主義という思考形式の行方というか隘路を見定め、それに代わる新たな思考を始めてみることもできるのではないか、という感じの本で、とてもよい本です。 

で、そういう意味では、経営学アメリカ的な個人主義イデオロギー、マネージャーは自らの意思で状況をコントロールできるとかそういう発想に汚染されていることは随分と前から指摘されていることでもあるし、私としても「個人の前に立ちはだかる組織」とか「個人を活かす組織」とかの議論にはうんざりしていて、何か別の思考を展開できないかというのは、ずっと前から考えていることでもある。まあとは言え、「個人」を完全に消去してしまうなどというのは、経営の思想としてはちょっと考えにくいことであるし(思想の可能性としてはあり得ても、ふつうに企業とかで働いてる人にとっては意味不明だろう)、「自分の意思で状況をコントロールできる」という発想を全く放棄してしまうのも、経営学自体が成立しなくなってくる。そこで「個人」というものをどう取り扱うか、どう位置づけるかというのが微妙な問題になるのだけれど、そこを折衷的に、個人主義全体主義のバランスをとるという形でやるのは理論としても実践的な含意としても実りがないなあという感じで、結局「個人」をフィクションや言説として取り扱って、そうしたフィクションや言説の作動を考えていくというのがそれなりに落ち着くところなのだろうけど、まあそれもどうなのだろうか、ということをなんとなく考えていたりする。