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I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

“THEE MOVIE” LAST HEAVEN 031011

チバ追悼上映ということで,映画館で見てきた。初見だと思っていたのだが,昔に一度見たことあった。2003年幕張メッセの解散ライブの映像を中心とした,終末感漂う後期ミッシェル。

ミッシェルというバンドには明らかな絶頂期があって,それはもちろんギヤ・ブルーズの前後あたりだろう。私がミッシェルを聴き始めたのも,その頃だった。初めてミッシェルの名を知ったのは,バードメンだったと思う。当時はバンドといえばヴィジュアル系全盛の時代で,中学生だった私もそのご多分に漏れなかった。だからその時は,スーツ姿で「アーアー」とがなりたてるように歌うバンドをテレビで見かけてちょっと気になったというくらいだったのだが,その後,友達から「ミッシェル・ガン・エレファントっていうかっこいいバンドがいるよ」と紹介され,「あ,そのバンド知ってる」と思った私は,友達にカセットテープをコピーしてもらい,確かハイ・タイムとギヤ・ブルーズから10数曲ほど選曲されていたと思うが,それで家に帰って自分の部屋でテープを再生した瞬間,それまではJポップしか知らなかった中学3年生の耳にロックンロールは鳴り響いたのだった。

初めてバンドを組んでスタジオに入ったのもその頃で,その友達とミッシェルのコピーをした。確かキャンディ・ハウスとか,スモーキン・ビリーとかをやったと思う。当時私が持っていたのはレスポール風のギターだったので,どうにもおかしな具合だったが,ともかくロックとつながった私は,なにか一気に世界が開けていくような,そんな感覚だったのだ。

その後,高校入学とともにフェンダーテレキャスターを買ってもらった私は,学校が終わるとまっすぐに家に帰り,毎日アベのギターをコピーした。ロックギターの基本的なことは,だいたいアベから学んだ。♭3や♭5のブルースのフレーズとか,「ジミヘンコード」という呼び名も当時は知らずに「ミッシェル・コード」だと思っていたE7(#9)とか。ワールド・サイコ・ブルーズのライブビデオも,毎日のように繰り返し何度も何度も見た。

だが,その頃からミッシェルは,アルバムをリリースするごとに,確実に死に向かっていった。今にして思えばということかもしれないが,カサノバ・スネイクは,そのカラッとした音とは裏腹に,どこか変だなという感じもした。続くロデオ・タンデム・ビート・スペクターは,明らかに一線を踏み越えた印象だった。アルバムの中心的なイメージが「亡霊」だったのも,偶然ではないだろう。たぶんこの時にバンドはすでに死んでいたのだ(それでも,ロデオ・タンデムはよいアルバムだったと思う)。最後のサブリナの2枚では,もはやゾンビとしても形を保てるギリギリの状態のようで,そのうち崩れてゆくのは明白だった。だから,解散と聞いた時もとくに驚かなかった。彼ら自身,その頃には天国(ヘブン)—あるいは,他のどこか(ノー・ヘブン)であれ—を望み,〈夜〉を終わらせようとしていたのだから。

それで,この解散ライブ。バンドの死について書いたのも,今回この映画を見て,そうした印象を改めてはっきりと感じたからだ。うまく説明できないが,崩壊寸前のバンドが最後に渾身の力を振り絞るとか,そういう感じではない。なんというか,すでに亡霊となったバンドの,もはや取り返しのつかない形で失われたはずの生命を,どうにか再び燃え上がらせ,燃やし尽くそうとするような,それも,もう二度とかつてのようにはいかないことを知った上でなお,バンドを終わらせるためにはそうせざるをえないというような,そんな悲痛さを感じる。途中に差し挟まれる98年のフジロックでの勢い有り余るライブ映像と見比べると,この解散ライブはあまりに悲愴である。とくにアベがつらそうだ。チバは,誰よりも固い決意を持って,残酷にも見えるほど着実に,ミッシェルを終わらせようとしているように見える。

今後,またこの映画(や解散ライブの映像)を見ることがあるかどうかはわからないが(見直したらまた印象が変わるかもしれないが),ひとまず今回はこんな感想。