読んだもの観たもの

I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『「子どもがケアする世界」をケアする』

京都大学の伊藤智明さんの誘いで、幼児心理学における二人称的アプローチを応用した企業家研究の方法論を検討するという趣旨の報告の機会を得て、その準備のために読んだ本。

「ケアをしないではいられない」のが人間の「本性」であるとか(そうした「本性」は人間(幼児)が本来備わっているはずなのに大人になるにつれ失われるとか)、「本当の他者」「人間そのもののありよう」「意図」「訴え」「情感」といった内奥の何かを捉えるものが二人称的アプローチだとかいうような物言いは、そもそも二人称的アプローチが乗り越えようとしてるデカルトの二元論を再び前提としているようで、理論的には腑に落ちない。議論の最終的な根拠を「〜は認めざるを得ない」「〜は明らかだ」で済ましてしまっているのも気になる(2019年3月9日追記:上記のところは、論理的には腑に落ちないのだけれど、伊藤さんの鬼気迫る報告を聞いて、二人称的関わり合い、その記述が持つ圧倒的な勢いを前にすると、たしかに「認めざるを得ない」というような気もしてくる。結局のところ、どれだけ面白い記述が生み出せるかが問題なんだろう)。

けど、二人称的アプローチの実際の記述を見てみると、そこで描かれているものは確かに読み手に「本来性」とか「真性さ」といった印象を与えるある種の活き活きとした記述になっているし、そうした記述を産出する枠組みとして、「感情/情感」「同感的/共感的」「モノとのかかわり/ヒトとのかかわり」みたいな二項図式は、確かに有用であるなと思う。

はてさて、こうした記述方略が、企業家と研究者の共愉的関係の産出・維持においていかなる有用性を持ち得るか?ということは経営学的に考えたい(今回の報告で検討する)課題。