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『科学的管理法』

|新訳|科学的管理法

|新訳|科学的管理法

授業準備のために読んだ。

テイラーの科学的管理法について,例えばレポート課題なんかで学生さんが調べてみようと思ったらどうするかというと,とりあえず「テイラー 科学的管理法」でググってみるということをすると思うが,そうすると一番上に出てくるページには,

この技法は、労働者を命令を受けて作業するだけの機械のように扱っているとされ、心理学や社会学の見地からの考察が無く、人権侵害に繋がるとして、多くの人に批判を受けました。こうした批判は、後の学者や経営者の努力で改善がみられ、現在の経営学の発展に繋がっています。

というふうに書かれていて,ふつうに読むと「テイラーという人は,偉大ではあるらしいけど,人間性には欠ける人だったんだ」という感想を持つだろうし,そこに人間関係論や自己実現の話が続くとなれば,これら人間主義によってテイラーが「乗り越えられた」ような気にもなってしまう。さらに授業で『モダン・タイムス』なんかを見させられたりした日には,「なにごとも管理主義はよくないと思いました,働く人の自主性とか個性とかを尊重することが大事だと思います」という決まり文句まで一直線だろう。

まあ,科学的管理法が上記のような批判を受けたことは事実であるだろうし,テイラーは「労働者の心理学/社会学」みたいなものを看板をあげて展開はしなかったかも知れないが,テイラーが人間を機械のように扱っていたかというと,さすがにそれは違う。『科学的管理法』の中でテイラーは,「労働者をよく知り,各自にふさわしい処遇をしなさい」と何度も強調しているし,そもそもミッドベール時代に作業長として着手した改革に対して労働者から散々反発や嫌がらせを受けたことがだいぶこたえているようで,そこから「労使双方の繁栄」とか「労働者に最高の仕事を与える」という発想が出てくるわけだし(さらには「労働者との交渉学」みたいなものまで展開しているわけで),こうした背景事情を踏まえるだけでも,テイラーにとって労働者が「命令を受けて作業するだけの機械」のような存在でありえたはずもない。

だから,テイラーの人間観を読み間違えてしまうと,全然おかしなことになる。テイラーは労働者を「機械」のようにみなしていたから,仕事のやり方を細かく定め管理しようとしたのではなくて,労働者を「生きた人間」として,まあいろいろと手強い存在(言うならば,複雑で矛盾に満ちた心理的・社会的存在)と見ていたからこそ,「科学」に基づいた管理を必要とした,と読まなければならない。で,「それはなぜ?」ということこそが,この『科学的管理法』から読み解かないといけないところなのだよ。