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『直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論』

直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論

直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論

 

経営学者と現象学者の共著本ということで、「経営学それ自体をカッコに入れる(現象学的還元)」みたいな話が目についたので、おもしろそうだと思って読んでみた。 

で、本書の議論全体の基盤となっているのが相互主観性という概念なのだが、それがどうも「共感」という心理主義的な事態を指すものとして扱われているようで、「経営の本質には共感がある」というような話になる。というかまあ、副題に「共感の哲学」と書いてあるので、そうなるのは当たり前なのだが(買うときに副題見てなかった)、でも、相互主観性ってこんな話だったっけ? フッサールってむしろそうした心理主義を批判した人じゃなかったっけ?

私の見ている世界というのは、私一人だけの主観的世界というわけではなくて、その世界の中に他者も存在しているし、他者もまたその世界を私と同じように見る主観であるーーということをふつう私たちは想定しており、私にとって世界がそのようなしかたで成立しているということを相互主観性と言うと思うのだけどーーそして、(哲学的には)そうした他者と同一の世界という想定が成立する条件を問うために相互主観性という概念があると思うのだけどーーだから、相互主観性というのは、「共感」のように、なにか(たとえば経営というものにかかわる)われわれが達成すべき目標のようなものではないと思うのだけど。

まあ、もちろん本書では、現象学者の山口一郎が相互主観性の成立根拠についても述べていて、私たちは自我(主観)と他我(主観)の分離を当たり前に想定しているが、むしろ、自我と他我はもともと幼児期には未分化であり、その意味ではむしろ相互主観性こそがより根源的な事態だ(だからこそ、経営においても共感こそが本質的なものだ)、というふうに説明をする。のだけど、こう説明されても、どうも腑に落ちないところはあって、社会科学的感覚からごく素朴にいうと、そう言われても私たちには確かめようがないし、というところ。

まあ、こういう話はこの本の主張とは関係ないと言ってしまえば関係ない話で、この本でいうナレッジ・マネジメントとしては、相互主観性がどういう意味合いであろうと、共感が大切だということで、それはそれで一貫した主張にはなるのだろう。だろうけど、相互主観性ということでいうなら、ナレッジ・マネジメントについて、もっと他の議論のしかたもあり得るのだろうなとか思ったり。

と書いたところで思い出した、小江茂徳さん(九州工業大学)の論文。社会科学として相互主観性の水準からナレッジ・マネジメントを議論するとしたら、こんな感じになるのかなぁ。