読んだもの観たもの

I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』

これも京大の伊藤さんにお薦めしてもらった本。

例えば、さほど仲良くもない人と居合わせて気詰まりを感じる時(そして例えば、慣れないフィールドで観察調査をしている時)、私たちはそこに「ただ、いる」ことに耐えられなくなって、しきりになにか考え事をしているふりをしたり、カバンの中を意味もなくまさぐってみたり、無理に相手と弾んだ会話をしたりしようと「する」。こういう風に、何か「する」ことがあると「いる」ことが可能になるのだけれど、だからといって躍起になって何かを「する」というのは、「いる」ことのつらさを誤魔化そうとするようなものであって、逆に言えば、「居場所」というのは、特段必死に何か「する」ことがなくても、無防備なままとりあえず座って「いる」ことのできる場所のことである。

こういう「する」と「いる」を、「セラピー」と「ケア」(とか「線」と「円」)に重ね合わせながら、本書では、著者自身が働いていたデイケアの日常が描かれていく。記述はじつに調子のよい文体で軽やかに進んでいくので、臨床心理士である著者が臨床心理学の枠組みには収まりきらない「活き活きした現実」みたいなものをエッセイ調で描いてみました、という、一見、誠実そうに見えてじつは学者としてはとても不誠実な本なんじゃないかとか、最初の方は思ったりもしたけど、その辺はさすがに著者もわかっていて、軽やかなタッチで描かれる日常のいろんな出来事にも、ちゃんと心理学(や現代思想)の枠組みからの考察を行っていく。で、物語としては面白いのでサクサク読めるわけだけど、最終章は若干タッチが違っていて、効率化、進歩、変化を良しとする市場原理・会計原理の元では、「ただ、いる、だけ」の社会的価値が語りにくいこと(私たち自身が「それでいいのか?」を問うてしまうからだ)、そして、「ただ、いる、だけ」を語るには、それにふさわしいエッセイの言葉で語るしかなく、さらに、「ただ、いる、だけ」の「ケア」を続けるためにはこうして語り続けていかなければならない、それが臨床心理士としての学術的な営みであるのだ、ということが述べられ、それはそれで腑に落ちるところもある(でも、市場原理とか会計原理については、もうちょっと違う議論もできそうだとも思う)。

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)