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I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『物語の役割』、「自分もかつては死者だったような」

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

 

作家さんが「小説を書くこと」について書いた本ということで、読んでみたらやっぱり面白かった。

講演をもとにしたものであるらしく、三部構成(講演3回分)になっているのだが、そのいずれにも、死についての話が出てくる。といっても、この作家さんが死そのものを小説の「テーマ」として取り扱っているとかそういう話ではなく(この作家さんは、こうしたテーマ先行型の創作はしないそうな)、死というのはこの作家さんのあらゆる創作に共通する視点のようなもので、人々(あるいは、動物・草花・モノ)の「生き生きとした生」を描くために、死を通してそれらを見る、ということだそうだ。

どういうことかというと、この作家さんは、小説を書く際に、人物造形から入るのではなく、まずは人々の生が営まれる〈場所〉を定め、それから登場人物を作り上げるというやり方をするそうなのだが、しかし、その〈場所〉はすでに廃墟であるらしい。その〈場所〉にはもう誰もおらず、もっとはっきりいうと、そこに生きた人々はすでに死者となっている。そうして、廃墟に残された記憶を辿るようにして、そこにかつて生きた人々の生を書いていく、ということらしい。

なんでわざわざこんなやり方をするかというと、小説というのは、言葉にならないものを語るものだからで、それは、作者自身が語りたいことを語るものでもなく、また、人々が積極的に語ろうとするものを語るものでもなく、むしろ人々が語らなかったものこそを語ろうとするものだから、ということだ。それは、こちらからの問いかけの反応として返ってくるような言葉ではなく、いわば、死者の言葉のようなものである。てなわけで、作家がすべきことはそうした死者の声に耳を澄ませること、あらゆるものの謙虚な観察者になることである、と。著者自身の別の比喩でいうと、作家というのは、人間たちのいちばん後方を歩いており、人々が人知れず落としていったもの、落とした本人でさえそんなものを持っていたことに気づいてなかったようなものを拾い集めて、それがかつて存在したことを書き記していく、ということをやっているんだとか。

で、そうした死者との会話は、恐ろしいとか、気持ち悪いとかいう感覚ではなく、懐かしい気持ちであり、自分もかつては死者だったような気すらしてくるそうな。