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I'm not a very good communicator, so maybe that's why I write about talking

『ザ・セル』

ザ・セル (字幕版)

ザ・セル (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

先端的なテクノロジーによって患者の心の中に入り込み、内的対話によって患者を治療するということをやっている(が、あまりうまくいってない)精神科医のところに、FBIから捜査協力の依頼があって、連続殺人犯を逮捕したところ、そいつが監禁している被害者がどうやら自動拷問機にかけられており、ほったらかしにしておくと死んでしまう、彼女の居場所を突き止める手がかりを得るべく犯人の心の中にアクセスしてくれませんか、ということで、精神科医が連続殺人犯の精神世界に侵入してみたところ、そこには異常に次ぐ異常のおぞましい世界が広がっており、なんやかんや、という話。

監督がどうやらミュージックビデオを専門に撮っていた人で、映画はデビュー作ということらしく、そのまんまミュージックビデオのような作品になっている。なので、ストーリーがどうこうというわけではなく、映像で魅せるという作品になっており、病的なイメージとか東洋風味なんかを取り入れつつ、それはそれでいい感じには仕上がっている。のだけど、連続殺人犯の内的世界を「異常だ、異常だ」と言っているわりには、普通の人が「連続殺人犯」と聞いてごく普通に連想するような「異常」がひたすら描かれる感じで、まあ娯楽的な作品かなあという感想。

もうちょっと具体的に書いておくと、その殺人犯の精神世界の中では、虫とか爬虫類とか、見るからにメンヘラな風貌の人とか、お目目キラキラ漫画風メイク(お面?)をしたレディガガみたいな人とか、筋骨隆々のボディビル女性とかが廃墟みたいなところに暮らして(幽閉されて?)おり、またそこでは白塗りスキンヘッドにロン毛という妙な髪型のおっさん(連続殺人犯その人らしい)が豪華絢爛のどことなくオリエンタルな雰囲気の王国を築いていたりする。まあ、これらのイメージはどれも「異常」とカテゴライズされることには違いないのだけど、こうした「異常」なイメージのそれぞれは、現在では「サブカル」のタグ付けがされて、むしろ至って当たり前のものとして受容されており、たとえばホラーゲームなんかでも「異常」なクリーチャーたちがごく当たり前のように画面を這いずり回り、プレーヤーはそれを普通に期待し、楽しんでいることだろう。あるいはまた、こうした「異常さ」は「そういう系」のものとして、個々人の趣味嗜好、「自分らしさ」として、尊重されるべきものと扱われたりもする(別に「異様」なメイクや髪型をしてもいいわけだし、女性がゴリゴリのマッチョになっても「美しい」わけである)。で、どうも私たちみんなが精神異常者になってしまったというわけではなさそうだし、結局のところこうした「異常さ」は、2000年の映画公開から20年が経つ中で、商品やスタイルとして飼い慣らされてしまう程度のものだったということだろう(というよりおそらく、2000年の時点でもうすでに飼い慣らされた「異常さ」が反復されていたのだろう)。

そういえば、うちの女子学生の中にも、猟奇的なサイコパスものが好きなんですという人がいて、最初のうちは驚いていたのだけど、どうもそれが一人や二人どころではなく相当数いるみたいで、今やこうした「異常さ」というのは、娯楽作品の中でむしろかなりわかりやすい、一般受けする要素に落ち着いてしまったようだ。ということで、「異常さ」の流通と消費という卒論のテーマとか、どうだろうか。

ところで、連続殺人犯の人がなんかビリー・コーガンみたいだなぁと思っていたら、『フルメタル・ジャケット』の微笑みデブの人だった。