簡潔に読書記録をまとめてみようということでやっているこのブログなのだが、それをこの高密度なテクストについてやってみろというのは、土台無理な話である。
近代とは何か、西欧近代そしてとりわけ日本近代とはいかなる力学を孕んだ社会であるのかということを、組織の資本主義を取っ掛かりに解明していく本。近代に生きるわれわれにとって、近代を問うというのは困難な作業である。ウェーバーやフーコーが苦心の末に自らの身を引き剥がし対象化・相対化した近代というものを、われわれ日本人は西欧とはちがう社会に生きているために、いともたやすく、いささかの生理的抵抗もなしに理解できてしまう。そして、そうした「たやすさ」こそが私たちを取り巻くこの日本近代の力学の現れであり、その「たやすさ」に安住している限り、われわれは日本近代を対象化・相対化することはできない。したがって、われわれ日本人が近代を問うためには、われわれにとって馴染み深い日本社会を、できる限り非日本的な言葉、すなわち、普遍的な社会科学の言葉で、解体していかなければならない——。
という感じで、西欧近代についての論述もさることながら、日本近代をめぐる論述にいたっては、われわれ自身を切り刻み、時に傷口をえぐるような記述が、恐ろしいほどの密度と深度で続いていく。